善意の差別: しらとりけんじ
こんな言い回しがあるのかどうか、僕は知らないのだけれど、
事実としては、子どもの頃から体験済みです。
当の本人としては、善意の気持ちから来る言動が、
結果として、相手を差別したり仲間はずれにしてしまうことってあると思います。
僕が経験したことのある、典型的なものを書いてみます。
10年くらい前のことですが、最寄り駅の立ち食いそばによく行っていました。
カウンターの中で一人働くおばちゃんに、僕は注文をしてお金も渡すわけです。
お店によっては、その場で会計することもありますが、
僕の行っていたお店では、券売機で買うのが必須だったんです。
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おばちゃんが手の空いたときに出てきてくれて、券売機の操作をしてくれるわけです。
他にお客さんがいるときは、僕はおばちゃんを当てにして待っています。
「それくらいは、仕事としてお願いしても良いだろう」と考えたからです。
おばちゃんとのやり取りの仲で、食事が先で会計が後ということもありました。
込み合っているときなどは、さすがに心苦しいこともありました。
それでも、「無理を言わなければ、そのうち手も空くのだから…」と思ってました。
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ある日、いつものように店に入ると、満席らしく混雑してました。
そのとき、おばちゃんが僕に対して、少し待っているようにと声をかけてくれたんです。
その話し方が、まるで小さい子どもに言い聞かせるような感じだったので、
一瞬にして、おばちゃんの僕に対する見方が分かったように思いました。
同時に、僕の気持ちはぐっと落ち込みました。
「やっぱり、目が見えないということで、そういう評価だったんだぁ。」
という感じです。
おばちゃんとしては、
「目が見えない人は、哀れで不憫で可哀想だから、
親切に善意の気持ちで施しをするのが良いことなんだよ。」
まあ、例えばこういうことになるでしょうか。
場合によっては、それが正しいことだってあるでしょう。
でも、僕は、それとは違う関係ができていると思っていました。
スーツを着て、白杖を持って、一人で駅を利用している、
そんな、盲人しらとりも、そのおばちゃんからしたら、
可哀想で何も出来ない全盲だったのかもしれません。
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そんなことを考えると、とてもまともに挨拶する気にもなりません。
丼が目の前に来ても、おつりを受け取っても、
僕は不機嫌に頷くくらいです。
すると、おばちゃんがもう一言言ってくれました。
「人に何かしてもらったら、ありがとうくらいいうものでしょ」
………!!?
これは、正直いうと、かなりききました。
怒りで頭が真っ白になったくらいです。
今までの態度を反省しようと、一瞬だけ本気で考えました。
その直後、お礼の気持ちは伝えてきたはずだと考え直したのです。
「ありがとう」ではなくて、「どうもすみません」だったかもしれないけど。
僕としては、こういうときに、相手に返す言葉を持ちません。
怒りをぶつけても、きっと何も通じないで、反感が残るでしょう。
丁寧に説明しても、誤解や思い込みを解せるとは思いません。
結局は、何もいわずに、黙々と食べて店を出たのでした。
僕が思うに、このおばちゃんは、きっと親切な人なんでしょう。
でも、僕に対しては、幾分努力して、
その親切心を見せてくれたのかもしれません。
僕がお互いの役割として、無理が無いと思っていた券売機の操作について、
おばちゃんは、挨拶としての謝礼を求めていたのですから。
きっと、善意の心をいっぱいにして、盲人の僕に接してくれたんですね。
単純に、お客さんの一人として対応してもらえれば、僕は十分なんです。
そう伝えたいのだけど、ちょっとの行き違いで、その善意を踏みにじるかも知れません。
さらにいうと、例えば僕が、いつでも何に対しても感謝の気持ちで、
素直に「ありがとうございます」と口にできたら、
もっと違う関係ができたかもしれません。
お互いの気持ちの行き違いが、思ったより大きすぎたということです。
ですから、どこにでもありそうなことだともいえます。
とにかく、僕がそんなときに、
どのような態度でいられるかが、肝心要だと思っています。
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