ピアニスト・一世 オフィシャルサイト 一世を応援する一世ファンのために・・・ || 歴史的名ピアニスト:ブラームス ||
総合資料室
歴史的名ピアニスト
ブラームス,ヨハネス
Brahms,Johannes
1833年5月7日・独/ハンブルク〜1897年4月3日・オーストリア/ウィーン
父親ヤーコプは当地の楽団のコントラバス奏者。
1839年(6歳)父親ヤーコプから音楽の手ほどきを受ける。
1840年(7歳)父親の手引きにより、ハンブルク市内のピアノ教師コッセル(O.Cossel 1813年〜1865年)に師事。正式なピアノ教育はおそらくこの時点がスタートだと推測される。
1843年(10歳)父親ヤーコプ主催の演奏会にて初の公開演奏。
同年、コッセルの紹介により、コッセルの師でピアニスト兼作曲家のマルクスゼン(Marxsen,Edward 1806年〜1887年)にピアノと作曲法を師事。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品研究・分析、リズム感の訓練、ピアノ演奏の徹底した基礎訓練などをマルクスゼンから受ける。ブラームスの生涯にわたる伝統的ドイツ様式の作風は、この頃の基礎教育で形成された。
1845年(12歳)マルクスゼンによる指導に作曲理論が加わる。この年から作曲作品が生まれているが、後年ブラームス本人が「未熟作品」として破棄した為、19歳以前の作品・楽譜は現存していない。
1846年(13歳)
レストランや酒場、ダンスホール等のピアノ奏者を務め、家計を助ける。
1847年(14歳)
ヴィンゼンにて初の指揮を経験。当地の男声合唱団の合唱指導だった。丁寧なアドバイスに加えて真面目 かつ礼儀正しいブラームスに好感が集まり、翌年夏の合唱指導も依頼される。
1848年(15歳)3月、ハンブルクのフィルハーモニー協会の公演でヨアヒム(Joachim,Joseph 1831年〜1907年)のヴァイオリンを聴く。生涯親交を持つヨアヒムをこのコンサートで知る。(この時点でヨアヒムと接触はない)
同年夏、ヴィンゼンで合唱指導。
同年9月21日、ハンブルクに於いて初のリサイタルを開催。
1849年(16歳)4月14日、2回目のリサイタルを開催。
アナフィラキシーショックの過誤
1850年(17歳)
3月、ハンブルクのフィルハーモニー公演にてクララ・シューマンのピアノ(ロベルト・シューマン指揮)を聴く。
同年、ヴァイオリニストのレメーニ(Remenyi,Eduard 1830年〜1898年)と知り合い、意気投合する。
1851年(18歳)スケルツォOp.4を作曲。
1852年(19歳)ピアノ・ソナタ第2番Op.2作曲。
1853年(20歳)4月、レメーニとコンサートツアー。ツアー中にレメーニによってヴァイオリニストのヨアヒムを正式に紹介される。
同年6月、ワイマールのフランツ・リストを訪問。
同年9月、ヨアヒムの紹介によりデュッセルドルフのシューマン夫妻と会う。ロベルト・シューマンはブラームスの自作演奏(ピアノ・ソナタ第1番Op.1やスケルツォOp.4)に感激する。
10月、ロベルト・シューマンは『音楽新報』(10月28日付)に「Neue Bahnen(新たなる道)」と題して投稿し、ブラームスを『天才』として紹介。
同年11月、ライプツィヒの出版社ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社と契約。
出版に向けてピアノ・ソナタ第1番Op.1を改訂。
ピアノ・ソナタ第3番Op.5完成。
1854年(21歳)1月、ハンス・フォン・ビューローと知り合う。ビューローは後にブラームス派の重鎮として彼を擁護し、作品を演奏してブラームスの名を広める等の功績をあげる事になる。
同年2月27日、ブラームスの音楽出版界進出のきっかけを作った恩人ロベルト・シューマンが、躁鬱病による異常行動で雨中のライン川に投身。(自殺未遂とされているが、躁状態から来る衝動説も指摘されていて自殺未遂とは断定できないという。)
精神病院に収容さ れ、家族との面会すら禁止されたロベルト・シューマンを気遣い、6人の子供を抱えてさらに妊娠中だったロベルトの妻クララを助ける為に、シューマン家の兄貴分のように子供達の面倒を見るようになり、やがてクララと亡くなるまて続く強い信頼関係が出来上がる。
この年は、シューマンの主題による変奏曲Op.9やバラードOp.10が作曲された。
ラ減量に食べるもの
1855年(22歳)後年ブラームスの支持者となる音楽評論家ハンスリック(Hanslick,Eduard 1825年〜1904年)、新進バリトン歌手のシュトックハウゼンと知り合う。
1856年(23歳)7月29日、収容先の病院にてロベルト・シューマン逝去。享年46歳。
1857年(24歳)9月、独・デットモルトの宮廷音楽家となる。
1858年(25歳)夏、避暑を兼ねてゲッティンゲンに滞在。
ソプラノ歌手アガーテ・フォン・シーボルトと出会い、やがて婚約指輪を交わす程の熱烈な恋愛関係に発展する。
同年秋にデットモルトに戻り、ピアノ協奏曲第1番Op.15を完成させる。
1859年(26歳)前年に完成したピアノ協奏曲第1番Op.15を初演。ブラームス自身のピアノによるものだったが評価は余り芳しいものではなく、ブラームス本人を落胆させる。
アガーテと破局し、婚約解消。
同年3月より、ハンブルク女声合唱団の指導。
秋にデットモルトで勤務。
1860年(27歳)ワイマールのリストを旗手とする新ドイツ・ロマン主義(新ドイツ楽派)に対する宣言文に署名。
1861年(28歳)ヘンデルの主題による変奏曲とフーガOp.24、ピアノ四重奏曲第1番Op.25、同第2番Op.26を作曲。
1862年(29歳)9月、ウィーンに移住。
同年11月29日、当地にて初公演。
1863年(30歳)1月6日のウィーン公演を大御所評論家ハンスリックに激賞される。
同年9月、ウィーン・ジングアカデミー合唱団の指揮者に就任。(翌年4月に辞任)
パガニーニの主題による変奏曲Op.35作曲。
1864年(31歳)10月、生涯の親友となるウィンナ・ワルツの作曲家� ��ハン・シュトラウス2世(Strauss II,Johann 1825年〜1899年)と会う。
左:ヨハン・シュトラウス2世/右:ブラームス
1865年(32歳)
2月2日、母親クリスティアーネ逝去。享年76歳
雑誌や摂食障害
外科医テオドール・ビルロート(Billroth,Christian Albert Theodor 1829年〜1894年/後にウィーン大学医学部教授/1881年世界初の胃の切除術に成功し、術式に今日も名前を残す)と知り合う。
1868年(35歳)4月、独・ブレーメンにてドイツ・レクイエムOp.45を初演して大成功。これがきっかけとなり、大家・巨匠作曲家として認識されるようになる。
同年、ハンガリー舞曲集第1・2巻を作曲。
1879年(46歳)ブレスラウ大学より名誉博士号を授与される。
同年2つのラプソディーOp.79作曲。
1880年(47歳)ブレスラウ大学に大学祝典序曲Op.80を献呈。
同年5月、ボンで開催されたロベルト・シューマン記念祭に参加。
同年、ハンガリー舞曲集第3・4巻を作曲。
1881年(48歳)夏にウィーン郊外の村プレスバウム� ��作曲に専念し、ピアノ協奏曲第2番Op.83他を作曲。
1882年(49歳)ビューロー率いるマイニンゲン管弦楽団の公演ツアーに同行。
1887年(54歳)1月らプロイセンから功労勲章を授与される。
1889年(56歳)自作の演奏活動最後の年。
同年ハンブルク市より名誉市民権を授与される。
1894年(61歳)親交のあった外科医ビルロート博士が逝去。逝去直前の手紙のやりとりが夫人の癇に障っていた為、夫人によって葬儀参列を拒否され、柩を参道で見送る。後年ビルロート博士の作曲作品をブラームスが出版を奨めたが、ビルロートの未亡人の意向に反してブラームスが校訂をしたため、未亡人が出版を拒否。大作曲家ブラームスが校訂者とならなければ、アマチュア作品を出版してく� �る出版社など無い事を、未亡人は理解出来ていなかった。(未亡人はブラームスの死後に出版社を廻ったが、どの出版社からも相手にされず門前払いとなっている)
1895年(62歳)
3月、ウィーン楽友協会音楽院の50周年記念公演にて、自作の『大学祝典序曲』を指揮。(ウィーンに於けるブラームス最後の指揮)
同年5月、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフより大勲章を授与される。
1896年(63歳)1月、ベルリンにて自作の『大学祝典序曲』およびピアノ協奏曲第1番・第2番を指揮。
同年3月26日、親友クララ・シューマンが脳卒中にて倒れる。
同年5月20日、クララ・シューマン逝去。享年75歳。
最後の作品となった『オルガンの為の11のコラール前奏曲』Op.122を作曲。
同年夏から極端な疲労を感じるようになり、カールスバートに滞在して鉱泉飲用療法を受け、10月ウィーンに戻る。
1897年(64歳)2月、死期を悟って正式な遺言書を作成し、財産管理人を任命。
同年3月7日、自作品を聴く最後の演奏会に出席し、交響曲第4番を聴く。(ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルハーモニー交響楽団)
� ��後から床を離れられなくなる。
同年4月3日(午前8時30分)、昏睡状態のまま永眠。享年64歳。死因は父親ヤーコプと同じく肝臓癌であった。
同年4月6日、ウィーン中央墓地に埋葬。
[一世]
[番外編]
交響曲作曲家としてのブラームス
TOP/新着情報/プロフィール/一世の雑感/コンサート/一世の気象・天文趣味/一世(Issei)オフィシャルブログ/東京洋楽研究会(元祖&本家)/一世のピアノで歌う童謡・唱歌の会in仙台/総合資料室
(c)2007-2011 一世 All rights reserved.
0 コメント:
コメントを投稿