Webマガジン幻冬舎: ツキが半分
それは多いのだろうか? 少ないのだろうか?
そういえば「そうだ! 占いに行こう!」と決心の果てに占いに行ったことってないや、たいがいは、勢いとなりゆきで鑑定席になんとなく座っていた。
このときもそうだった。
なりゆきというか、酔っていた。
27歳なりたてで、3年つきあった男と別れて半年過ぎていた。
仕事はおもしろい。
遊び友達には不自由しない。
梅雨の合間の湿った空気の中を閉じた傘を一本持って、駅前の道をひとりで歩いていた。来月は友達と旅行。その前に原稿を2本入稿。濡れるのを注意しながら買ったばかりの靴を履いてきた。行動範囲は地下鉄と地下道とアーケードのある商店街を縫っていくので、傘もいらないくらいに足下は確かだ。
なにもイヤなことないじゃない。
今夜の飲み会も楽しかった。最寄り駅より、ひとつ前の商店街のある大きな駅前で降りたのは、夜の道を酔いを醒ましながら歩くのが好きだからだ。
15分後には、ひとりの部屋にたどりつき、シャワーを浴びて広げたシーツの上に横たわる。冷蔵庫の中に冷たいミネラルウォーターがあるし、深夜のテレビを少し見るのもいいな、明日の用事は夕方からだし、さしせまったしめきりもない。
あたしはゆっくりするのだ。
あいむはっぴーなのだ。
持っていた傘で地面をつっつく。
商店街はほとんどしまっていて、おそくまでやっている定食屋もさすがに店じまいをするところ。後はいくつか飲み屋の看板が、ひかえめに発光したり、小さなライトを浴びて浮かび上がっている。駅から家に向かう人の流れ、週末なので店から店へ移動する流れ、混み合ってもいなければ、寂しすぎることもない。
そこにちょうどよく乗って歩いて行けばいいのだ。
呼吸をひとつ整えて、前を見る。
そのとき、ふと見てしまった。
「あなたの運勢〜一件1000円より」の張り紙。
いつもたばこを売っている小さな窓口と並ぶ自動販売機の間に2階の美容院とブティックに続く狭い階段があって、そこに見なれぬつい立てが置かれ、張り紙が貼られている。
うおっ?
『あなたの運勢…』ってことは、あたしの運勢?
もう一度言う。
少し酔っていた。
そして27歳の私は幸せで、ただつきっている男がいないだけ。
15分後の熱いシャワー、広げたシーツに深夜のテレビ…。さっきまで盛り上がって騒いでいた友達とは、電車に乗る前にさようならと手を振った。そして今夜、抱き締めてもらうどころか、話しをする相手もいない。
1か月前、ちょっといいムードになってセックスした彼は、2度目のデートとセックスの後、電話をかけてきて「やっぱりつきあえないや」といってきた。2回したからまあいいや。いい男だったし気持ち良かったし、損はない。瞬時にきちんとことばにして自分の感情に言い聞かせる。
電話口では「それでも友達ではいてくれるんだよね?」口に出してしまう。しまった! とは思ったけれど、「まあな」と重い返事が軽く返ってきて、2度と会うまい、電話もするまいと私は泣いた。
「まあな」こんなかんたんなひらがなの3文字で、つきあってもいないのだから、別れ話でもないくせに、次の展開を思いついては押し付ける、そいうところがイヤなんだよね? わかっている。友達として普通の話をするたびに、「あたしのどこがいけないのよ、だめなのよ、ねえねえねえ」と濃厚空間なのは、私だってイヤだから、それから電話一本かけられない。かけていない。
ちきしょう、いい男だったのに。筋肉質で働き者で無口でこまめでセックス上手で。
くそくそくそくそ。
はうっ?
なにここ?『あたしの運勢』だって?
つい立ての向こうにアルミの折り畳み机が置いてある。キャンバス生地を張った簡易椅子が置かれ、覗き込むと中年の女の人が静かにひとり座っている。
「いいですか?」
どうしてあたしは今夜ひとりぼっちなのか、そのわけを聞いてもいいですか?
半年前に5歳年下の男と別れてから、いいなと思う人はいたんだけど、どうしてあたしがいいなと思う人は、あたしをいいと思ってくれないのか聞いてもいいですか? あたしはこのまま一生ひとりで生きて行くんですかって聞いてもいいですか? その場合、今の仕事は順調に続けられるんですか? と聞いてもいいですか?
「こんばんわ。どうぞお座りください」
はふー。
座った。
50くらい。サマーニットの編み込みセーターと黒いロングスカート。ゆるくパーマをかけた髪をたらし、薄くお化粧はしているが、やせていて地味な女性だ。手元に茶色の表紙の小冊子と細い懐中電燈、白いプラスチックの枠のルーペ、メモ用紙とボールペンが置いてある。
「何をみましょうか?」
こちらをまっすぐに見て、話し掛けてくれる口調は誠実そうだ。
「恋愛運をみてください。なんだか恋愛運がとっても悪いような気がするんです。これから結婚できるような彼ができるでしょうか?」
占い師のおばさまは、私の生年月日をメモに書き付けると、茶色の小冊子をパラパラ開いて、何事か書き付けていく。
そして、ひと呼吸置いてから「強情で…素直な自分を出しにくい性質なんですね…。恋人は今年中に現れますよ」しっかりと断言してくれた。
「ただし、結婚に至るには…」
後で思うと、それは四柱推命だったらしい。四柱で見ると私の結婚運は底値の生まれで、気力が弱い割に高望みをしやすく、不平不満がたまりやすいという、女の幸福という状態からはかなり遠い星の生まれなのである。これは、後日自分で勉強して、自分で見たから確かだ。
それでも、このとき「今年中に彼氏は、現れる」と断言してもらっている。
四柱推命には、年運という毎年移り変わる運気の波があるので、生まれの星の意味を突破するためには、この移り変わる年運や、月毎にやはり意味を変える月運の組み合わせを使ってアドバイスするのだ。この年はたまたま、そういう彼氏ができても不思議じゃないよと読めるような星回りの年だったのだろう。
うひゃー。
舞い上がりました。
後のことは何も聞いていません。
一応、自由業の身として常に15%くらい気にしている、仕事運なんかも聞いたはずなんだけどね。全然覚えていない。
その他にもサービスで、父親の影響が強すぎることが今後の人生でいろいろ出てくるポイントになるとか、水難には絶対注意とか、断片的に強調されたことがいくつか蘇るけれど、後のことは本当に聞いちゃいなかった。
彼氏できるんだー。
やったね!
恋愛運と仕事運、2件で2千円なりを払って、予定より30分遅れでひとりのアパートにたどりつく。シャワー、シーツ、深夜テレビが待つひとりのアパート。気分は高揚している。彼氏はいないけれど、できるんだもんねー、ウキウキしている。
幸せな気持ちで眠りについたことは、まちがいない。
それだけは覚えている。
ほどなくして、まあ彼氏はできた。
おばちゃん、大当たりである。
しかしまた4年近くつきあった後、占う以前に別れた5歳年下の男と同じ理由で、別れるハメになったのだった。
もっとちゃんと…「但し結婚に至るには…」以降のおばちゃんの話をきちんと聞いておくべきだったのか?
4年つきあった男と別れた直後、わたしは新宿の雑踏をふらふら半酔っぱらいで歩いていて、またも街頭に座る占いおばちゃんにつかまってしまうのである。
恋を失って弱っているときは、占いおばちゃんに吸い寄せられる。これは女としての特性であるのかもしれない。
しかしこのおばちゃん、とんでもないおばちゃんだった。
思い出すと、今でも頭痛がする。
その話は次回にしよう。